社員は見ている(人事評価について)

朝出社すると社員が自分の顔色を見ている。機嫌がいいか?悪いか?元気かどうか?

見ていないようでさりげなく見ている。一挙手一投足を観られていることを自分でも気づくときがある。

また、「ここだけの話だよ」と言ってもすぐ伝わる。あっという間にその話は社内に広がる。社長から直接聞いた話を利用する部下がいる。それを使って周りに影響力を行使している。ちなみに、それを利用するのも手。内緒の話といって思いと違った話をしてみる。その話が広がる。それで社員の反応を見ることができる。

会社の顔として身嗜みには気を付けているし、失礼のないような態度や発言を心がけしているつもりだ。ただ、それは会社の外の話であって社内ではそこまで気を張り詰めてはやってられない。素の自分に戻って気を許したいと思うときもある。でもやはり社長という役柄を社内でも演じないといけないか。

ところで、なぜ憧れでもなくスターでもない一社員の社長がそこまで周りから注目を得るのか?姿、態度、振る舞いや言葉が影響力を持つのか?

それはありていに言えば、社員は社長を選ぶことはできないが、社長は社員を選べるという関係にあるからだろう。社員を評価し選抜し、褒賞・懲罰する権限、いわゆる人事権が社長に与えられている。

この人事権がなければおそらく単なる上位決裁者でしかない社長は誰からも関心を持たれないだろう。仕事の成果やプロジェクトの出来を評価することと執行者の評価は本来違うものだが、お互いに影響するために社員は活動の一つひとつについて「眼」を気にする。

この「見られている」という意識を引き起こして相手に関心を持ち、眼を向けることで相手も「見られている」という具合になっているようだ。

この「見られてる」者同士は相互に関心を持っているということで理解と協力に繋がればいいのだが、「見られている」ことを気にしないあるいは無視すると無関心となり、無関心のまま人事権を振りかざすとそれは乱用となる。また、子飼いの部下は虎の威(人事権)を借りて乱用(人気取り)を始める。そのうちに裸の王様だ。

一方、合理性があって評価者・被評価者ともに納得するルールを決めて公正公平に運用すればそんなに強い視線は感じられなくなる。関心から信頼へとレベルが変わるのかもしれない。そこでやっと権限を委譲できるし、社員は仕事に集中して自主性、主体性を持つことになるようだ。そもそも知らない者同士の集まりで組織効率性を追求するなら、周りに関心をもつことは必要だが、あまりに人の眼を気にしない方がいいに決まっている。

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