平均値の罠

会社にいると数字から離れることはできない。

決算書から計画、予算、業績評価などあらゆるところで数字が出てくる。

好きだとか嫌いだとか良いとか悪いとかいったもの(定性的)にまで数字化(定量化)される。数字はあらゆる活動や取引やその要素を表すためのツールであり、合理的な判断や公正公平の評価として使われる。

ところがその数字はある期間に活動した(する)結果や予想をグループ毎に分類され集計されたものである。そしてそれらを足したり引いたり、掛けたり割ったり、あるいは微分や積分したりして統計をとる。同じ性格の数字を比較して、良い悪いの評価をし、成長したあるいは後退したと評価を下す。

統計数字をある基準と比較して傾向を観たり、良い悪いの評価したりすることは経営にはなくてはならないものではある。問題はその統計数字をそのまま加工して分析することに怖さがあるのだ。

例えば総売上高はすべての顧客取引の成果を集計したもの。総原価はその取引にかかった直接費用を集計したもの。それを引いたものが総利益(粗利益)となり、その利益を売上高で割れば利益率という収益性の一つの評価数字となる。ところがいうまでもなく、その総売上高には商品サービス別、地域別、顧客別によって違った取引を合算したものであり、原価も利益もそうである。集計数字だけを使って分析してもよい悪いはわかっても、何が良くて何が悪いのかが分からない。それではこれから何をすればよいのか、何を改善したり、何を変えたり止めたりしたらいいのかわからない。

その例で言えば、収益を判断するためには、総売上から原価を引いた利益を見てもほとんど役にたたない。極端にいえば、一つひとつの取引にかかわる収入と費用から生まれる利益が積み重なったものだという理解と認識から始めるべきだろう。なぜなら収入も費用も利益も現場で起こったこと一つひとつだからだ。本来はその一つひとつを評価し判断してこそ何をすべきかが分かるものである。もちろん、そんな細かいものをすべて把握することは現実的ではないが、時間と労力の許す限り細かいことに越したことはない。つまり平準化したものを分解して気づきがうまれる。

そんなことぐらい当然だという。

ところが収益性から生産性へ目を向けたらどうだろうか?

ある事業部の営業部門の取引額は?受注件数は?新規顧客獲得数は?生産部門の歩留まり率は?サービス部門の対応件数は?

これを集計して平均値を出していないだろうか?それを使って傾向や良い悪いを判断してはいないだろうか?計画や予算、あるいは人事評価にそれを使っていないだろうか?

平均値を使って標準化するという。その値が改善することを部門長やリーダーに求める。

ところが、現場では一人あるいは数人がとんでもなく高い成果を出しており、多くはそうでもない。なぜその高い成果を標準化しないのか?

その問いから組織マネジメントが活かされ、パフォーマンスが改善し、その積み上げが収益に貢献することを経験した。

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