生まれて初めてスタジオでの写真撮影に臨んだ。カメラマンの上手いフリに乗らされて何十枚もの画像が出来上がった。
それを見ると自分とは違う顔、表情、姿があった。
いつもは鏡でみる自分しか知らない。いつも決まった静止画だ。
しかし、次から次と動きに合わせてシャッターが切られるとそこに別の人がそこにいた。
これは以前テレビ取材でインタビューを受けた時も放映画面を見て感じたこと。
また、昔自分の声を録音機から聞いた時も「え、これが自分の声?」なんてことはよく話題にすることである。
我々の体は時間とともに入れ替わっているという話を聞いた。
すっかり入れ替わるのに一番長くかかるののが骨らしいがそれでも1年で前の骨とは物理的に違うものなるという。
1年前の自分は今も変わらないと思っているが実は全く違うものになっているということだ。
意識だけが常態の自分があると信じている。
もしこの違和感のある外から見た自分が本当はそれが自分そのものだとしたら自分で思っている自分は何なんだろう?
音楽を聴いて心が高まったり、悲しい映画を観て思わず涙を流したり。
生理的あるいは安全欲求や「愛されたい、認められたい」という社会的承認欲求から判断し選択している自分がいる。
意識の中の自分と外から見た自分、いずれもはっきりつかめないもの。
それはまるで自分では直接見えない操り人形を操るようなものかもしれない。
操っているがその姿は観客である相手や大衆である社会を通してしかどうなっているかわからない。
下を向いたり、目をそらせたり、怒っていたり、泣いたり笑ったりと観客の反応をみて操り人形の動きをとらえるようなものかも。
じっと観察していないと自分がどういうモノかわからなくなってしまう。
ただ、常に観察しているわけにもいかず、相手の一挙手一投足に振り回されるのもくたびれる。
そこで一番いい方法がある。
笑顔であること。笑顔を演じること。
笑顔はリラックスの効用や免疫力が高まり、精神的に安定すると言われているが、それは意識の中へ直接的だけではない。
笑顔は相手にも笑顔を与え、リラックスや安心感から心を開く。受け入れるとも承認ともなり信頼につながる。
その鏡に映った自分の姿が見えて心が落ち着き、自分らしい自分、信じられる自分(自信)が生まれるのではないか。
逆境の時、辛い時、苦しい時、腹が立つときこそ笑顔を演ずる。笑顔の自分を操る。
これはいつでもどこでも誰でもできることで、最も簡単で効果的な自信を掴む方法である。
しかも無料で。