遡ること30数年前、新卒で米国の投資銀行に入社した折、研修でNYに訪れた際に会社からメンターを紹介された。
部署は違えど先輩である。社会のことも会社のことも右も左も分からない新米社員に対して世話を焼く係。
最近になってある友人から聞いた話。欧州の大手銀行の新任役員研修で会社からメンターリストを渡され指名せよと指示があったそうである。
日本の企業の中にもメンター制度はあるようだが海外では当たり前のようだ。
新卒であれ新しいポストに就く際であれ、未経験者にとって経験者の支援は有難いもの。
実務に関する悩みを聞いてくれるというだけでなく、そこにいてくれるだけで心理的にも支えになる。
また、ある友人の家にプロテニスプレーヤーが訪れて会食を楽しんだそう。
その席に外国人のコーチという人の顔があった。トッププロのコーチも経験した人だそうである。
それはテニスの技術的なコーチではなく精神面でのコーチだとのこと。いつも一緒にいる。物静かで常にニコニコしていたそうだ。
メンターにせよコーチにせよ、それはコンサルタントでもなくカウンセラーでもない。
目の前に何か課題(問題や症状など)があって、それに解(解決策や対処法)を与える(提案や助言)ものではない。
クライアントにとってパートナーであり、寄り添って成功や成長を見守る。
成功までの道のりの中で解はクライアント自らが出さなければならない。成功するのも成長するのも、そのために行動するのも本人だから。
メンターもコーチも心や脳みその筋肉を揉み解して働きをよくするだけである。
ただそうはいっても、なかなか自分だけで揉み解すことは難しい。人間とは社会性の動物だとか。人との触れ合いの中で力を発揮するものらしい。
では、メンターとコーチの違いは何だろうか?
経験者が未経験者のケアをするのがメンターならコーチは鏡となり壁打ち相手となって内省(発見、気づき、ひらめき・・)を促すもの。
いずれもゴールに向かって伴走する。
それに違いはない。だからメンターがコーチであること、コーチングスキルを活用することはメンターとして有効である。
メンタリングの中にコーチングが含まれると考える。
もちろん未経験者がコーチとなることもある。未経験者であるがゆえに全く新しい刺激を生み出すこともあり得るだろう。
しかし、経験者であるコーチの場合、コーチ自身が経験を振り返り場面場面での想定を繰り返す中で可能性や選択肢を一緒に気づく瞬間がある。
そこにパートナーとしての役割が大いに意味をもつのではないだろうか。