青木 正太 -Seita Aoki
大学卒業後、米系投資銀行へ入社。グローバルな観点から経済・金融の知識を習得するとともに当時最先端のテクノロジーによる商品開発販売に携わる。
東南アジアの政府系投資機関のアドバイザーとして日本の不動産、ベンチャー投資の斡旋を行う。大型案件を含む数件のディールに成功する。その中で外部専門チーム(弁護士、会計士、エンジニアなど)を組成しプロジェクトマネジメントのスキームを習得する。
実業への興味からベンチャー会社に転職。経営企画全般を職責としたが、実質的に経営者の代理として製造部門(台湾子会社)の管理から財務、資本政策まで関与した。残念ながら失敗に終わったが、ここで学んだマネジメント知識はその後の活動に大いに役に立つ。そのまま自ら事業者として試みたいという意欲からコンサルティング会社(合名会社)を設立。それぞれ自立と平等をモットーに4名のパートナーとグループ会社を始める。ベンチャー会社の事業支援や新規事業の開発などハンズオンのコンサルティング業務を推進。
次に大規模な組織経営に関与し過去の経験と知識を活かす機会として企業再生事案を紹介され入社。初年度は経営企画兼管理責任者その後現場責任者へ異動。関西地区全般のエリアマネジャーとして現場に入る。そこで顧客開拓、協力会社との調整に注力する。また4つの組合との交渉や現場ドライバー、作業員、営業担当者などのコミュニケーションから組織運営に従事。業績を評価され全社事業責任者として本社へ戻り、M&A後に事業統合が出遅れた子会社経営にも参画。企業文化や風土などの違いを乗り越えながら統合を完成。リーマンショック後に社長就任。東日本大震災など多くの苦難にも事業継続ができ、最終的に外資企業への出口にも成功。
トップマネジメントの経験を活かすべく2度目のチャレンジとして事務機メーカーへ社長として就任。ファンドからの委任で経営再建とバリューアップを命題に取り組む。4年後に無借金となりコーポレートバリュー5倍で出口戦略成功。ファンドから事業会社へ株主が移りグループ子会社の社長として継続。令和2年6月定時総会にて退任。
令和4年6月株式会社WillSmart非常勤取締役に就任。令和5年2月株式会社SISu代表取締役就任。経営コンサルティング並びにコーチング事業を始める。
令和6年2月リラクゼーション業界最大手、株式会社りらく代表取締役社長に就任。現在に至る。
略歴
1988年4月~1993年3月 | ソロモンブラザーズ(米国系投資銀行) |
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1995年4月~1997年9月 | センチュリー証券株式会社 |
1997年10月~1998年4月 | 株式会社アクロコンピューター |
1998年4月~2003年11月 | ウォールパートナーズ |
2003年11月~2014年1月 | トールエクスプレスジャパン株式会社 |
2015年2月~2020年6月 | 株式会社明光商会 |
活かせる経験・知識・技術
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事業経営における数値管理、分析能力
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現場行動観察、ヒアリング等による現場把握
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仮説設定、最適化シミュレーション
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事業計画や実行計画立案
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組織や個人のパフォーマンスマネジメント
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メンバーおよび業務マネジメント、プロジェクトマネジメント
学歴・資格
1988 年 3 月 京都大学法学部卒業
認定マスターコーチ/普通自動車免許/中型自動二輪免許/小型1級船舶免許/第4級アマチュア無線技士/第3級海上特殊無線技士/レーダー級海上特殊無線技士 /講道館柔道三段